こんにちは、さとちんです。
都内の広告代理店でGMとして働きながら、主にTwitterとVoicyで発信活動をしながら
Twitter特化のオンラインサロン「ちんサロ」を21年4月から主催しています。
僕がTwitterを本格的に動かし始めたのは2020年の4月で
最初はマーケティングとか運用とか全然わからない状態でスタートしました。
全て自力で、かつ独学だったので学びの連続でした。
結婚していて妻と子どももいますし、会社の本業をする傍らでTwitterも頑張るとなると時間もない。ツイートをしても良くて10いいねくらいしかつかない日々でした。
「このままTwitter頑張って、何か意味があるのかな。。」
悶々としていたことも1度や2度ではありません。
そんな悩みと共に日々葛藤している、どこにでもいる中間管理職のサラリーマンパパでした。
ではそんな僕が、なぜ途中であきらめずに発信活動を継続することができ、Twitterではフォロワー5万人を超えることができたのか。
さらに、審査性で合格率1%の音声発信メディア「Voicy」のパーソナリティに合格し、250名を超えるオンラインサロンの主催者になれたのか。
等身大のさとちんを簡潔にお話できればと思っておりますので
ぜひ最後までお付き合いくださいね。
小学生~高校時代
学生時代の僕は目立ちたがり屋だけど、前に出れない引っ込み思案タイプ。
今風のスクールカーストという表現で例えるなら間違いなく2軍タイプでした(笑)
1軍の方々から誘いはうけたりするけど、断って自分の世界に入り込み
自分と趣味の合う人としか付き合わない、ある意味根暗タイプだったかもしれません^^:
何より今でもずっと後悔していることが何も継続できなかったこと。
子どもの頃から親にお願いしてたくさんの習い事をさせてもらいましたが、どれも長続きしない。
小学校時代はサッカーと野球、中学時代は陸上、高校時代は剣道とどれも中途半端。
しかも真面目に部活に出ているならまだしも、サボって友達と遊ぶ日々・・・。
勉強もロクにしていなかったので頭が良いタイプでもありませんでした。
目的もなく、なんとなくダラダラ過ごしていた学生時代でした。
転機
そんな自堕落な僕に転機が訪れます。大学受験です。
まともに勉強してこなかった僕は高3から受験勉強をスタートするも
現役では全ての大学に落ちました。
まさにお先真っ暗。どうしよう・・と途方に暮れたのを今でも覚えています。
やることもなければ得意なこともない。
そんな凡人が目指す道は「とりあえず大学に行く」という選択肢しかありませんでした。
親に懇願して1年だけ浪人させてもらえることになり
その予備校で僕の心に火を灯す先生が現れます。
毎日それなりに勉強は頑張っていましたが、浪人当時のスタート偏差値は約40。
過去のツケもあり、相当な努力が必要な状態だったのは間違いありません。
まさに絶望的といえるそんな時、ある転機となる出来事がおきます。
それはある授業の1コマでした。生徒たちが少したるんでいて
それを見かねた英語の先生がふとこう言ったのです。
『アナタ達が良い人生を歩みたいなら良い環境に身を置き、良い人と出逢う事が大事です。そして偏差
が高い大学の方がその確率が上がるんです、今頑張らない理由ありますか?』
何気なく放った一言でしたが、僕には衝撃が走りました。
「そうか良い大学に入る理由はそういうことなのか!」
単純に思えるかもしれませんが、その時明確に『頑張る理由』ができました。
それからは一心不乱に遊びは一切断ち、1日14時間勉強に打ち込みました。
結果、第一志望の青山学院大学に合格することができました。
この成功体験から僕は3つのことを学びました。
・自分が身を置く環境は大事、でもその環境を作るも選ぶも自分次第
・継続こそ大きな成果を生む近道、楽して成果を得ることはない
・努力は裏切ることもあるかもしれないが、努力なくして成功はない
今となってもこの時の出来事と学びは大きな教訓になっています。
大学時代
頑張って入った大学時代。ホントに良い思い出ばかりで素晴らしい4年間でした。
一生涯付き合える友人たちもここで出会えたと思っています。
サークルはファッションショーを行うサークルに入り、年に数回ショーを催してました。
服好きな集まっていることもあり、この頃のバイト代は全て洋服代に消えていく
洋服貧乏な日々でした(笑)
ファッションショーを終えた集合写真/今思えば、リア充な学生生活でした
3~4年次に入るゼミでは組織心理学を専攻し、リーダーシップの研究を進めました。
ゼミ長も務めさせて頂き、リーダーというポジションをこの時はじめて取り組ませて頂きました。
難しいこともありましたが、この経験を通じてとても成長させていただきました。
こんな感じで、サークル&バイト&ゼミと濃い経験を素晴らしい仲間たちと彩ることができました。
何より、青学の雰囲気や社風は自分にあっておりまさしく受験勉強を頑張った甲斐があったと思えました。環境ってホントに大事ですし、環境を選ぶ努力は本当に大事です。
就職活動
当時は広告代理店で営業職として働くことしか考えておりませんでした。
自分に特別なスキルや才能がある自覚もなかったので、営業能力を鍛えておけば
自分にとって生涯役立つスキルになるだろうという想いがあったからです。
代理店を選んだのも「有形商品」ではなく「無形商品」の方が自分の実力に繋がるという想いから
コンサルティング企業なども並行して受けておりました。
当時は売り手市場ということもあり、内定は覚えているだけで5~6社頂きましたが
「努力×継続」を経験した過去の体験から、多くの企業を受けていたのも要因だと思います。
このように就職活動は比較的うまくいっていたほうだと思いますが、
今もなお勤めている会社に決め、社会にでることになりました。
ちなみに今の会社に決めた最終的な理由は「会社の雰囲気」でした。
ここで働けたら自分らしく働けそうと思えたのが大きかったように思います。
今も昔もそうですが、どんな仕事をするかも大事ですが「誰とするか」もとても大事にしている僕の価値観の1つです。
この考え方が今のサロン運営のDNAとして受け継がれていっています。
社会に出て
営業職として社会人生活をスタートさせましたが、入社当初は苦労したことが多かったです。
当時は謎の自信のようなものがあって「自分はやれる!活躍できる」と思ってましたが
そう上手くいかず、成果は同期の中でも下から数えた方が早い状態に・・。
ただ「自分は向いてないのか…」のように悲観的に思ったことは一度も有りませんでした。
「いずれ花が咲く」そう信じて愚直に毎日の業務をこなしながら過ごしていました。
当時のこのポジティブシンキングがどこから生まれたのか?謎ですが
大学受験を逆境から乗り越えた成功体験が僕を支えていたのだと思います。
つまり、自分には継続の才能がある。続けていれば必ず成果に繋がると信じて疑いませんでした。
良く言えば、自分をしっかり信じることができていたと思います。
そんな中で2年目に部署異動があり、それを機に大きく変わり始めます。
次第に売れるコツとやり方を掴み始め、売れるようになってきたのです。
努力×継続がしっかり実を結んだ瞬間でもありました。
いまでこそ「ワークライフバランス」が叫ばれていますが、当時はそんなものはない状態。
20時に会社から帰ろうとすると、同僚から「今日は早いね」と言われるような環境で
毎日22時まで仕事をしていました。
遅くまでやっていたから成果が出たということが言いたいのではなく、
成果を出すためには他人と同じことをしていてもダメということを
大学受験の経験から悟っており、ともかく自分の時間を仕事にコミットし続けました。
今思えば、20代はこのようにガムシャラに走り続けて良かったと心から思えますし
そのおかげで30代の今の僕がいます。「若いうちの苦労は買ってでもしろ」はホントに真実です
それからというもの、階級別の営業MVPを全て獲得して年間表彰に選ばれたりしました。
大げさに言えば、人生そのものを好転させることができました。
この成果を支えたのは、繰り返しになりますが努力×継続しかありません。
愚直に続けることがやっぱり成果に繋がります。
ただ当時仕事に全力コミットする一方で遊びも全力投球でした。
飲み会に合コン、クラブ活動。日夜渋谷に繰り出し、遊び呆けたり
海合宿やスノボー、野外フェスやイベントに精力的にともかく動いていました。
むしろこの為に仕事を頑張っていたと言っても過言ではありませんが
仕事も遊びも全速力だったからこそこの当時は充実していたのだと思います。
遊びを充実させるために仕事を頑張る、仕事を頑張るから遊びが楽しめる。
少し強引ですが、そんな20代を満喫していました
結婚
遊び呆けていた自分ですが、恋愛もしっかりしておりました。
当時付き合っていた彼女(現在の妻)とはお互い巨人ファンということで意気投合して、
仲良くなってお付き合いすることになりました。
ラスベガスやフランス・イタリア・メキシコに行くなど
旅行にも勢力的に行き良い思い出もたくさんつくりましたが、
あまり結婚というものには興味がありませんでした(笑)
ただ彼女が当時30歳のとき「結婚しないなら別れるから決めて」とチクチク攻められ続け
「結婚しない理由もないし、結婚してみるか!」という、今思えば安易な理由で結婚することに。
こんなことを書いたら怒られそうですが、ホントに当時の自分はそういうことに無頓着だったと思います。
それから現在では1人の息子にも恵まれ、妻もキャリアウーマンで共働き家庭のため、
子育てとの両立に苦しみつつ、なんとか3人で慎ましく平和に暮らしています(妻は鬼嫁です)
現在の僕の頑張りの原動力であり、家族の存在はとても大きいものになっています。
キャリア
僕は新卒で入社した会社でずっと勤めており、今も変わらず働いています。
転職をしようと思ったことはないわけではありませんが、管理職として責任のあるポジションを任せて頂いていますし、一緒に働くメンバーのことも好きでやりがいもあるのでとても充実しています。
何より、会社のことが好きで社風や風土が自分に合っているのだと思っています。
もちろん、全てが順風満帆にきていたわけではなく、困難な場面や歯を食いしばるシーンも
これまでたくさんありましたが、今も頑張れているのは今の社長のお陰でもあるので、
少しでも恩返しがしたいという想いもあって今も日夜頑張り続けています。
そしてVoicyなどで発信している「営業論」「ビジネス論」はこの仕事が源泉になっていることも多く、とても良い経験をさせていただいています。これからも変わらず精進し続けます
Twitterを始めた理由
「Twitterを始めた理由はなんですか?」とよく聞かれます。
正直言ってしまうと、最初は今のように「日本一あたたかいオンラインサロンをつくりたい」というような想いも、交流サロンを作りたいという想いもまったくありませんでした。
当時(20年4月)はコロナが日本で流行り始めていた頃のことです。
ビジネスシーンが大きく変わる変化に恐怖を感じ
これまでのキャリアを振り返った時に「今の自分のままでいいのか」という得も知れない不安に襲われたことがキッカケです。
発信力を獲得してビジネスに活かしたいという漠然とした想いからでした。
一人でなんとか頑張って継続していましたが、Twitter運用に大量の時間投下をして
疲弊することもしばしば、家族から「Twitterやりすぎ」と怒られたこともあります。
では当時はなぜ継続できたのか?
それはシンプルに自分のビジネス経験や営業ノウハウをアウトプットするのが楽しかったからです。
当時の僕は仕事も楽しく、数十人のメンバーを抱えながらグループ運営を行い、営業活動を行っていましたが、勤めている会社は新卒からずっと同じ会社。自分自身のビジネススキルや経験を外側にアウトプットする機会自体がなかったので、「何かを放出するような気持ち」でアウトプットが心地よかったのだと思います。
学生時代から主役になるタイプというよりは誰かを支えるタイプ。
でももしかしたら、承認欲求は強い、結構気難しいタイプだったのではないかと思っています(笑)
だからこそSNSの世界とは言え、外部に自分の想いを発信してリアクションが貰える世界に
ある種の高揚感を感じていたのだと思います。
そしてその発信活動をしながら仲間と出会います。
この仲間との出会いから「ちんサロ」が誕生するまでの秘話は
サンクチュアリ出版の連載記事に掲載しておりますので、ぜひそちらも御覧ください。
サンクチュアリ出版連載記事
「楽しく伸ばすTwitter講座」
普通の中間管理職として
僕はTwitterで起業したとか大成功したとかいうタイプの発信はしていません。
なぜかというと、僕はどこまでいっても普通の会社員でありどこにでもいる普通のパパです。
本当に都内の広告代理店に勤めていますし、妻と息子と3人で平和に暮らしています。
でもそんな普通の会社員の僕でもTwitter運用2年半で5万フォロワーを獲得して
Voicyで平日毎朝音声での発信活動を行い、オンラインサロンまで主催しています。
そうです。誰でもやり方次第で何者にでもなれるのです。
そして今はソレが自分次第で実現できるSNS全盛期の時代です。
「普通の会社員だし」「どこにでもいる普通の主婦だから」「自分なんてムリ」
そんな風に思う人もいるでしょう。でも大丈夫です。平凡で凡人の僕でも何者かにはなれました。
特別なスキルや能力なんてありませんでした。持ち続けていたのは『変わる覚悟』と
そのための『継続×努力』のみです。ただ、みなさんにも私生活・リアルがあると思います。
僕もいくら家族が僕のTwitterでの活動を理解してくれているとはいっても
ついついTwitter運用や「ちんサロ」の活動を頑張り過ぎてしまうことはあります。
「最近Twitterのことばっかりね。」と
妻から冷ややかな目線を浴びせられることもありますし
息子には「パパはお仕事ばっかりで遊んでくれない!」と
言われてしまうこともあります。
でも、そういう状況を乗り越えてきた人こそ何者かになれているのではないかと思います。
家族との時間やプライベート・本業などを理由にして「副業をする時間がとれない」「Twitterをやる時間がない」「SNSをやる時間がとれない」などという人は多いかもしれませんが
僕も一人の男として同じところに立っています。
圧倒的成功者ではなく、僕のように現在進行形で子育てをしているサラリーマンだからこそ共感できるお話はたくさんあります。
これを読んで皆さんにとっての何かのキッカケになれば嬉しいです。